20110126

新芽


私の部屋には2鉢のブーゲンビリアがある。

うすいピンクと白の花が咲く。

年末から心をかけるゆとりがなくてピンくのブーゲンビリアの葉がカラカラにひからびてしまった。

もう死んでしまったのかと思って片付けようと枝を切り始めた。

しかし、

よく見ると小さな新芽が枝のそこここから芽吹いている。

まだ生きている。

手をとめ、形を整え水を与える。

何度もその新芽を眺める。

なぜが不思議な気持ちになる。

赤子の爪よりも小さい葉が

何ともいえない希望を与える。

命の力とは何と不思議なものだろう。

絶望の淵にいる時でも、

この小さな希望が見ることができたなら、

前に進むことが出来るのかもしれない。




20110125

2週間前



ちょうど昨日から2週間後の日曜日に私の結婚式がある。

一昨日は最後の牧師からの最後の結婚カウンセリングを受け、そして、披露宴会場での最々終打ち合わせをする。

以前、NY在住の友人のマコト・フジムラ氏から福音とは、根本的には結婚式であると聞いたことがある。

フジムラ氏曰く
「イエスは教会を「花嫁」と呼び、ヨハネの14章の「あなたがたのために、私は場所を調えにいくのです。」と語っています。この言葉はイスラエルの文化では花婿が花嫁に語る言葉でした。だから、男性の弟子にとってこのイエスの言葉はラディカルに聞こえたことでしょう。

イエスの最初の奇跡は「カナの結婚式で水を葡萄酒にかえる」ことであり、黙示録の宇宙的結婚式(教会とイエスの結婚)に終ります。

その過程を我々の結婚式にとらえることはその宇宙的な力を私たちの一時的な存在に向かい入れる恵みなのでしょう。」

結婚が、「神と教会のひな形」であることを考える時、結婚式というものが、一つのイベンやただのお祭りではなく、とても神聖なものであるのだとおもう。

その大きさと深さを心に留めながらこの2週間をすごしたいと思う。


f.

20110124

友人の結婚式

正月明けて早々友人の結婚式に出席する。

新郎が設計した、新婦のご両親宅での小さな結婚式。

出席者は30人前後

新郎のソプラノサックスの演奏で新婦が入場。

新郎の手渡すブーケを新婦が受け取り、新婦がそこからブートニアをとり新郎の胸に刺す。
ブーケの由来そのまま。
人前式の結婚式は友人の司会で。
披露宴はパネルに足だけをつけて養生シートを張った大きなテーブル4つが登場。
司会は新郎自ら仕切る。
宴席では出席者が自己紹介しながらエピソードクイズが飛び出す。
プローフィールは新郎新婦が自ら説明しながらゆっくりじっくりスライドショー。

今まで出席した結婚式で最小で最長、そしてもっとも温かい結婚式だった。

麻美ちゃんおめでとう。







f.

ゆく年来る年

プログは制作中心のことを書こうと思っていたので、プライベートなことを書くことをためらわれていた。

でも、もうどうでもいいや〜。
ということで、日々のことを書こうと思う

今年の年明けは、母のかねてからの願いを叶えよう!と言うことで、白老のコンテナーで迎える。

到着してほっとしてさて温泉に行こうと思ったら、母の友人の牧場のオーナーがやってきて、川のほとりを4人で散歩することに。

新雪をこぎながらの1時間の散歩はなかなかタフなものだった。

疲れた身体を癒しに、さあ温泉へ!
と思い気や、ポロトコ温泉は年末なので5時で閉館。

しかたがないので○○温泉の日帰り入浴に直行。

そこがすごかった。

寂れた感じはまだいいのだが、露天に行ったらなんとお湯が水に近いぬるま湯。
そして、シャワーは最後お湯が出なくなっていた。
内風呂でなんとか身体を温めてさっさと上がる。

仮設のブルーシートで壁を作っていたトイレは雪で半壊していて入ったら、向こう側の景色が見える始末。結局、星空の下で用をたす。

新年の朝は、ムチャクチャ冷えてすごく寒くて震えながら巻きストーブをたき。
滅多に使わない、コンテナの小屋は凍り付いていたらしく、巻きストーブで暖めていたら、床も壁も結露だらけでベチャベチャになって、あちこちを拭き掃除し続け、なんとも忙しくて疲れる年越し年明けだった。

さっさと家に帰って、とどいた年賀状にも目を通さずあとはグーグー寝まくる。

そんな奇妙なゆく年来る年。

なかなか貴重な体験をした