20090619

しなやかに闘うということ



先日、NHKのBSで「知られざる奇跡の行進」という番組を途中から見た。

それは1989年10月に旧東独のライプチヒで行われた市民7万人による無血デモのドキュメンタリー。
http://cgi4.nhk.or.jp/topepg/xmldef/epg3.cgi?setup=/bs/premium8-tue/main

そのデモが天安門の二の舞にならないように奔走した6人が、そのメンバーの一人である、クルト・マズーア(ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者)を通して、7万人の民衆と、その群衆を制しようとしていた軍隊に放った声明文がわたしの心をとらえる。



「共に社会主義の今後を話し合うための、
 
 自由な意見交換を実現するために、

 どうか冷静になってください」


(記憶で書いているのでちょっと正しくないかも)


相手を批判すること無く、しかし、正しいと思えることを相手に伝える力、その力がわたしにも必要だとその番組を見ながら自分の心に語った。

壊されて行く家を使うこと

見捨てられて行くもの、壊されて行くものに、非常に心が動かされる。

ラインプロジェクトの時もそうだった。

人に見捨てられてしまいそうな一枚の紙の上に書かれた一本の線。

それが、視点をかえるだけで作品という特別なものに変わる。

それが、わたしにとって一番引かれるところだった。

612621の「壊される予定の家」はその紙一枚と同じようにわたしの心の琴線を震えさせた。

ただそれだけのこと。

それは、絵を描く人がキャンバスやパネルを選ぶようなものであり、また、彫刻家が粘土や大理石を選ぶようなもの。

形が無くなり、忘れ去られてしまう切なさ。

役目を終え、その存在を消されてしまう、やり切れなさ。

それが、視点を変え手を加えることで一瞬でも違うものとなり特別な空間となる。

それを、記憶にとどめる。

そんなことは出来るのだろうか。

それは、わたしには、人の生の果敢なさと尊さにも通ずるような気がする。

20090618

和解

先日和解が出来たと思った瞬間があった。

相手が謝罪してくれた訳でも、

言葉をかけてくれた訳でもない。

ただ、もういいと心から思えるこが出来た。

そう思えた時、

すがすがしい春風が心の中に吹いた気がした。

それは、人との和解というより、

自分との和解であったのかもしれない。

赦しとは、その感情がうずいていたとしても、

それはどうでも良く、

赦すことを決断し、

後ろのことを振り返えらず前を向いて進んで行く時に

ひとつずつ昇華して行くものだと

改めて教えられる

わたしは、一歩ずつ前に進んで行こう。

20090617

612621 −人−


日曜日、実は、612621に関わっているわたしたちは皆、人に関心があるのだとmm氏が言う。

それから、自分の中にある人への関心はどこからくるのだろうか。

そのことをずっと考えていた。

帰りの道程、運転しながら考えた。

それを家に帰っても考えた。

そして、トイレを出る時瞬間に、自分が永遠の存在に赦され、愛されていることをからこそ、わたしは人に関心を持つことが出来るのだと思った。

それを思う時、涙が止まらなくなった。

20090616

612621ワークショップ

612621が先週の金曜日のレクチャーから始まり、あっという間に4日が過ぎました。

毎日沢山の方がこられて

6月13日のワークショプには子ども5人大人5人が参加してくれました。

子どもたちが来た時は、みんなが同じタイミングに来てくれたので、小さな4畳半がぎゅうぎゅう。

でも、さすがの子ども達も、最初は真っ白な布団にドキドキ。



絵の具を手につけてもなかなか思い切ってぬることができません。

子どもの頭にも「やってはいけないチェーン(鎖)」がしっかりと頭に巻き付いているのです。

そこで、チューブをひねってびゅ〜っと布団に飛ばして見せてみました。

ぴゅ〜〜〜〜〜っと絵の具が真っ白な布団の上に飛び散った途端、彼らの頭に巻き付いていた「やってはいけないチェーン(鎖)」が”ブチブチ!”という音をたてて切れました。3回ぐらい同じ事を子ども達の前でやったらもう全員パワー全開!
一緒に来たお母さん達がハラハラしているのも何のその。真っ白な布団はあっという間に泥、いや絵の具だらけ。

とてもパワフルですごい空間になりました。





Photo by ミウラアヤ

20090611

おおづめ

金曜日に展覧会のスタートを目前にかなりいっちゃってるな〜と思う、笑えるできごと。

今朝は昼まで寝てしまう夢をみて、「あ〜昼間で寝ちゃったよ〜どうしよう。」と思いながら起きました。

でも、朝でした。

それが分かって胸をなで下ろしました。

あ〜。こわかった。

20090608

アートクラス ー嫌いな色の組み合わせー


5月6月と連続で幼稚園のお母さん達のアートクラスをさせていただきました。

アートクラスをさせていただいた第2大麻幼稚園では、普通のクレヨンではなく、子供達に蜜蝋クレヨンを使わせています。

子供達の使っている蜜蝋クレヨンで体験して、家でも子供たちと一緒に描きたいと、お母さん達が企画されたアートクラスです。

5月は一緒にタンポポを描きましたが、今回は色遊びをしました。

最初は副園長の近江先生の手遊びから。

そして、8色のクレションで色の表を作って

そのあと嫌いな色の混色で塗りつぶす事を体験していただきました。

クラスは2回、どちらのクラスのお母さん達もとても熱心で真剣に色と向き合われていました。

2日目は、丁寧に塗る事をお薦めしたら、皆さん本当に几帳面に塗ってくださり、時間内に完成できない方もいらっしゃいました。

でも、塗ってない箇所があるのもなかなか素敵です。

今回の目的は、好きな色を無意識的に選んでしまうという枠があることをきづく体験をしていただく事、そして、人が一人として無用な人がいないように、色も一つとして汚い色なのなど無いという事をすこしでも体験していただくことです。

2日目のクラスの最後に近江先生が、色の話と重ね合わせて、今、幼稚園にいるダウン症の子供の話をお話しされました。それがとても心に響きました。

ふとん


今日は13日のワークショップのための布団をいただきに行きました。
布団を提供してくださったのは、真砂さんにご紹介いただいた渡辺布団店の社長さんの渡辺さん。

古い工場の中に大きな綿打ち機が置いてある中布団の話を沢山伺いました。

かつての布団店は布団を仕立てる事は無かったそうです。
昔はみんな自分で布団を作ったり、綿の打ち直しをしていて、布団屋は、打ち直しをする綿を提供する役割だったそうです。布団を仕立てる事が出来ない人にはそのお宅に行ってそこで布団を仕立てたそうです。

また、いい布団を買ったら打ち直して一生使える。
まさにエコの代表です。

布団は奥が深い。

と思いました。

オープンスタジオ終了


先週の金曜日から日曜日までオープンスタジオでした。

このオープンスタジオほとんどが、なんだか、わたしの制作のためにあったような気がします。
みなさんすいません。

その割には、かなり消極的な姿勢で、何人の人が来てくれるのか分からないままスタート。

でもふたを開けてみたら毎日2人以上の方が来てくれて、トータル10人の方が参加してくれました。

参加してくださった皆さんありがとうございます。


今回の展覧会は、あれよあれよというまに決まって、NYやその後の報告会と展覧会の疲れもとれぬまま心の整理もつかぬまま、怒濤のごとく始まり進んで、なおかつ北大レクチャーも加わって...。あ〜なんだか進んで行く〜。なんかすごいかも〜。となんとかついていってるのがわたし。

一緒に参加してくれているammmがいてくれたおかげで、DMもレクチャーのポスターも想像を遥かに超えたクオリーティーの良いものにもなって、なんだかすごくて本当にいいのか〜とおもったり。

そんなこんなで、わたしは金曜日にオープンスタジオがはじまってもほげ〜っとしてました。

そしたら、愛のこもった優しいでも非常に鋭いチョップが入って思いっきり目が覚め.....。


「ちょっと、まずくないか〜〜。ぎょえ〜〜〜!!」という感じです。


基本的にAll or Nothing的な正確なので、こうなると真っ白に塗りつぶしたい衝動に駆られ。

が、しかし、もう始まってるオープンスタジオは止められないし。

グルグルしながらもう一度、自分の動機を一晩の内に猛烈に吟味さられました。

土曜日は、もう一人グルグルしている仲間が作業している横でずっとパソコンと向き合い、キーワードをひとづつあげて気がついたら朝の3時半。

それにしても、ここまで一緒に関わって、こんなにぎりぎりの時期まで一緒に時間をすごして作品を作るのもひさびさ。

なんだか学生に戻った気分。

こんなふうに、真剣にヒリヒリするくらい共に作品に向き合う事が出来る仲間と機会が与えられた事に心から感謝します。

それにしても、オープンスタジオ終了してちょっとほっとしてるけど、これからが本番なのです。

さあ、さらに気合いを入れねば。

ファイト〜!
イッパ〜ツ!

でも、まずはもう寝ないとね。