20081125

the vestiges

今回のシンガポール行きは「アジアカンファレンス」
人を連れて行くことと、同時通訳をすることだった。

そこでは、「行いのない口先の信仰ではなく、実際に行動する信仰であり、外に出て必要のある人々に届いていくこと」を問われた。

芸術家はやはり、作品を造ることこそが、遠回りかもしれないが社会に貢献することになるのではないだろうか.....と思いながら、2005年に造った作品を思い出した。



ー痕跡ー
<行きどころのない痛みと怒り>
2005年春。中国で学生による反日運動があった。そのニュース、記事を見るたびに言葉では表現出来ない思いが胸を締め付けた。
イラクでは毎日のように自爆テロが起き、何百人という人がまるで物のように死んで行く。パレスチナとイスラエルは反目しあい。日本人は叫び、北朝鮮は頑に日本を責める。
私たちは、同時に被害者であり加害者なのだ。
世界中が、やり場のない痛みと悲しみ、怒りと憎しみで喘いでいる。
私は、自分がこの途方もない痛みと怒りの前にあまりにも小さく無力で呆然とするばかりで、出来ることは祈ることだけ。

<穴>
2005年の2月の2人展の作品の中で穴が空いている物がある。その穴は、私に十字架に打たれた釘の穴を連想させ、聖書にある「彼は、私たちの背全ての者の罪のために刺し通れ、砕かれた。」また、「敵意は十字架によって葬り去られた」という箇所を思い出させた。キリストの手と足に釘が打ち付けられた時、そこには、時代をはるかに超えた全世界のすべての怒り、憎しみが集中した。
その釘があけた穴。それは、キリストが私たちのために支払った代価の痕跡。そして、すべての憎しみと怒りが背負われた痕跡。

私たちには担うことの出来ない痛みと怒り。
それを全て背負った人がいる。.

様々な国々の友に手紙を出し、彼らの国の土を共に彼らの祈りを送ってもらう。

送られて来た土を顔料として用い、穴の空いた木の上に注いでいく。それは、それぞれの国の土地に、キリストの十字架がすでに立てられ、そこにある痛みと怒りがそこに担われていることを宣言する。

願わくば、全ての痛みがいやされ、怒りが静められますように。
哀れみと赦しの奇跡が起こりますように。

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